ゲストトーク『アントノフのビート』:JICA森裕之さん
10月12日に上映された『アントノフのビート』のトークゲストとして国際協力機構(JICA)中東・欧州部の森裕之さんが登壇されました。
同作品の上映前には、スーダンの紛争の背景を説明をしてくださいました。1956年に独立したスーダンでは、1955年から内戦状態が続いています。紛争の原因には、地方の経済発展が遅れ、国内に経済格差があることに加え、地方の人々がスーダン政府から差別を受けていると感じていることにあります。
映画の舞台となっているスーダン南部に位置する南コドルファン、青ナイル州の人々は、スーダン政府からの差別に対して戦っており、南スーダンとの合併や独立の意図はないそうです。スーダンが文化的に寛容となり、より平等で自由な国になれば、より良い生活ができると同地域の人々は考えていると解説してくださいました。
上映後のゲストトークでは、ご自身が2011~2014年に赴任されていた際の様子も踏まえ、お話ししてくださいました。
―同作品の感想はいかがでしょうか?
森:内戦における反政府側からの視点から撮影された作品のため、スーダンの全体像は分かりにくいと感じましたが、歌のメロディーや子どもたちの笑顔はなつかしく思い出されました。
―赴任当時のスーダンの様子を教えてください
森:私は2011年4月に赴任し、ちょうどその年の7月9日に南スーダンが独立しましたので、混乱していました。1956年のスーダン独立後はアラブ系のエリート層が政権をにぎっています。それ以前から南スーダン地域では政権に対抗する形で内戦が起こっていました。
また、映画の舞台となった南コルドファンと青ナイル州のほかにも、東部地域、西部のダルフール地方でも内戦が続いており、紛争のたびに人々は避難民になっています。
―スーダンは広い国で、政治状況も地域により異なることが分かります。スーダンは多民族・多文化の共生を謳っていますが、それについてはどうお考えですか?
森:「スーダン人」というよりも、人々を名前で覚えていたので、民族についてあまり深く考えていませんでした。ただ、顔の形や肌の色が多様な国だという印象を受けました。
©UNHCR
―本作品では、爆撃が続く中、人々が音楽を愛してやまない様子が描かれていました。スーダン人の人柄はどうでしたか?
森:私が出会ったのは、平和で、とても落ち着いていて、友好的な人々ばかりでしたので、なぜ内戦が続いているのか理解できないほどでした。また、スーダンの人にとっての音楽は、呼吸と同じくらい自然なものに感じました。
―本作品では、アイデンティティもテーマとして取り上げられていました。人々のアイデンティティはどのように感じましたか?
森:本作品を鑑賞し、アイデンティティが紛争の理由になる面があると感じる一方で、多くの人がそうした側面を考えているとは思いませんでした。税金を多く払っているのに、なぜ自分の村には病院や学校がないのかという不満から反政府になっていくと考えられます。ただ、(多民族・多文化であるがゆえに)スーダン人の定義があいまいなことが内戦につながっている面もあると思います。
また、反政府側に加え、スーダン政府もかわいそうだと感じる時があります。スーダンは、アラブとアフリカの両方にまたがっているため、アラブの世界ではイスラム教の中でも劣っていると捉えられています。その一方、アフリカの人々から見ると、スーダンはアラブ人による奴隷貿易の地だったことから許せないという気持ちがあります。さらに、米国からテロ支援国家として経済制裁を受けています。多くの方面からいじめられているのはなぜだろうという気持ちでした。
―本作品から、家族や生まれ育った土地を大事にする様子が伝わってきました
森:私は地方出張から首都のハルツームに帰ってくるとホッとしていました。街らしい街はハルツームにしかないからです。でも、地方からハルツームに出てきた人たちは、休日には喜んで地元に帰っていきます。その理由を尋ねると、「地元にはすべてがある」と。でも、その“すべて”を私は目で見ることができないのです。家族や友人、そして自分自身が育った土地へのつながりを指しているのだろうと考えていました。
プロフィール/森裕之
国際協力機構(JICA)中東・欧州部次長。1996年JICA入講以来、シリア、イラクなど主に中東やバルカン地域など紛争後の復興事業に関わる。2011-2014年スーダン事務所長としてダルフール、南コドルファン、青ナイル州等の紛争地域を含めたスーダンにおける開発支援事業に従事。英国マンチェスター大学開発行政学修士過程修了。