【東京 ゲストトーク『ディーパンの闘い』: JICA竹下昌孝さん】

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【東京 ゲストトーク『ディーパンの闘い』: JICA竹下昌孝さん】

10月9日、東京での『ディーパンの闘い』上映後、トークゲストとしてJICA南アジア部の竹下昌孝さんが登壇されました。司会はUNHCRの河原直美が担当しました。

-(河原)まず、この映画の背景を理解するためにスリランカの内戦について教えてください
(竹下さん):基本情報からご説明しますと、スリランカは国土が北海道の8割ほどの大きさで、約2000万人が住んでいます。民族はシンハラ人が約75%、主人公のディーパンを含むタミル人が16~18%、そのほかムスリムの方等がいます。厳密に言えば、タミル人には元々スリランカに住んでいたスリランカ・タミルと呼ばれる人々、プランテーションの労働者としてインドから移住したインド・タミルと呼ばれる人々がいます。

映画では冒頭とディーパンの記憶の中で少し出てきますが、1983~2009年まで26年間スリランカで紛争が繰り広げられていました。スリランカは、元々イギリスの植民地で、1948年にセイロンとして独立しました。当時から人口構成はシンハラ人が多く、タミル人が少なかったのですが、タミル人は人口比に対し政府の要職に就いていた人が多く、シンハラ人は自分たちの声が政治に十分反映されていないという不満を持っていたと言われています。

こうした状況の中、独立後はシンハラ人が中心となり、政府は例えば、シンハラ語のみを公用語としてタミル語を公用語にしない、シンハラ人の多くが信じている仏教に特別な地位を与える、南部のシンハラ人をタミル人が住む北部に入植させるなどのシンハラ人を優遇する政策が取られました。

こうした政府の政策に対して、次第にタミル人が不満や抑圧感を感じるようになり、タミル人は自らの権利拡大のための活動を展開しました。当初は平和的な活動を通じた権利拡大が目指されていましたが、これに対し政府が抑圧的な対応を取り、1980年代に映画にも出てきたLTTE(タミル・イーラム解放の虎)という武装組織が結成されました。

LTTEは、当初は様々な事件を起こしていたため、支持する人が少なかったのですが、シンハラ人を優遇する政策が続いたため、タミル人の間でLTTEへの支持が高まっていきました。1983年に北部のジャフナという都市で、シンハラ人の兵士がタミル人によって殺されたことをきっかけに、各地でLTTEと政府による大規模な紛争へとつながっていったと言われています。

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2002年にはノルウェーの仲介で停戦合意が結ばれ、その後日本でも復興と開発に関する会議が開かれるなど、和平に向けて前進したという時期もありましたが、最終的にはスリランカ政府が停戦協定を破棄する形でLTTEを攻撃したことによりLTTEが崩壊し、2009年に紛争が終わりました。

映画の中で、ディーパンと一緒に国外に逃れた女性の間に、心理的な距離を感じさせる描写がありました。タミル人の中にはLTTEに対して複雑な感情を持っている人が多く、LTTEのせいで紛争が起こって住む場所や家族を失った人もいます。また、徴兵されないよう海外へ逃れた人もいると聞いています。女性がディーパンを「(内戦の)加害者」と言ったことにも表れているように、LTTEの主張が必ずしも大多数のタミル人を代表している訳ではない、という意見もあります。

紛争が26年間続いたことによる被害については、データは不確定なところもありますが、一説には死者は8万~10万人、北東部を追われた人は28万~30万人に上り、そのほかディーパンのように国外へ逃れた人もいると言われています。

―竹下さんはJICAのプロジェクトを通じて現地に行くことも多いと伺っていますが、現在の状況はどうでしょうか
スリランカの開発協力に携わっていて、2ヶ月に1回ほどスリランカを訪れます。紛争は北部で行われたため、首都のコロンボや南部は穏やかで、紛争の傷跡は、普段は目にすることがない状況です。2001年にスリランカを担当したことがありますが、そのときは紛争中であったため、市内にも兵士が治安警備を行うチェックポイントがありました。紛争中はLTTEが自爆テロで大統領を暗殺したり、空港で航空機を爆破する事件を起こす等、不幸な時期もありましたが、今では平和な状況になり、観光客も多くみられます。

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―現地の人は内戦についてどのように捉えているのでしょうか
内戦の場合は、当事者がそのまま国に残っています。元々シンハラ人のタミル人への不満がきっかけで内戦は始まったとの意見があります。そのため、スリランカ政府は民族や地域間での不満が生じないような政策を実施する点に注意しているという印象を受けています。そのため、スリランカ政府と事業を行う際、政府からは北部や東部だけでなく南部にも貧しい地域があるため、過度に紛争影響地という視点を強調するよりも、コロンボと地方との経済格差を是正するような視点で事業を行っていきたいという意見もありました。

―JICAのスリランカでの事業について教えてください
JICAはスリランカで様々な事業を展開しており、青年海外協力隊の派遣や、農業等に関する技術協力、病院や学校の改修などに関する資金協力等を行っています。現在、スリランカ政府から要請を受け、北部、東部、南部を含む経済発展が遅れた地域で道路や灌漑設備、給水施設のインフラ整備を行う事業について、調査を行っています。

先日現地を視察しましたが、北部と東部には国内避難民が帰還している所もあるとの話を聞きました。国内避難民の中には、元々土地を持っていた人もいますが、26年間の内戦で土地所有に関する記録が残っておらず、以前人々が持っていた自分の土地に新しい建物が建ったり、別の用途で使われていることもあります。また、帰還しても仕事がなかったり、インフラが整っていないことで、生計を立てる手段に乏しいという課題もあると聞いています。

私が視察した場所の一部では、赤十字や国際的なNGOが支援して建てた家に住む人がおり、かつて内戦が行われていた様子を想起しました。スリランカ政府は、この事業を通じて、路面の状態が劣悪な道路を改修したり、井戸を掘ったりして、人々が安心して暮らせるようにインフラ整備をしていきたい、これにより以前住んでいた場所に戻りたいと希望する人がいたら、戻って生活を再建できるようにするといった狙いがあると説明していました。

―この作品の背景について補足しますと、本作品は2015年5月にカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞しましたが、同じ年の11月にフランスのパリやパリ近郊でテロが起き、多くの方が亡くなるという事件が起きました。その容疑者が貧困地域に住んでいた移民の2世、3世だったということで、欧州のこれまでの移民政策のひずみが浮き彫りになりました。フランス国籍を持ちながらも、フランス社会に同化できないという問題が背景にありました。この映画は、スリランカだけでなく、欧州の状況も描いた作品だと感じています。パリで起きたテロ事件を予見していた作品だともいわれています。

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<質疑応答>
(会場からのご質問):移民政策についてお聞きしたいのですが、難民の審査を通過してフランスに渡ったのに、住む場所はあのようなアパート(注:治安があまり良くない地域にあるアパート)とは驚きました。フランスの受け入れ体制はどうなっているのでしょうか

河原:映画の中やパリのテロで問題となっているのは、フランス国籍は得たものの、フランス社会に同化できず周辺化されたままで不満がたまり、政府や警察、学校などに反発する人がいることです。より社会の一員として生活できるような移民政策が必要であるということを浮き彫りにしていると言えます。

(会場からのご質問):映画の中でアジア象とガネーシャが出てきましたが、これはどういう意味でしょうか

竹下さん:タミル人にはヒンドゥー教を信仰している人が多く、北部にはヒンドゥー寺院が多くあります。スリランカには象が沢山生息し、保護区もあります。映画では主人公が故郷のことを思い出す際のシンボル的なものとして登場していたのではと感じます。

(会場からのご質問):スリランカの国内でのシンハラ人とタミル人の対立において、和解への具体的な動きはあるのでしょうか

竹下さん:スリランカ政府は2010年に、過去の教訓と和解に関する委員会を設立し、過去から何が学べるか、そして未来への教訓は何かについてレポートを作成しました。また、LTTEの一番急進的な要求は分離独立でありこれは叶いませんが、スリランカ政府は地方分権化のあり方も検討していると聞いています。

紛争の最後は、LTTEが住民約20万人を人間の盾として立てこもり、民間の方が少なからず亡くなったといわれています。スリランカ政府が作成したレポートに対しては、国連はスリランカ政府の責任を十分に追及していない点があり、こうした点も含めてより包括的な調査を行うべきとの勧告を出しましたが、前の大統領は紛争の当事者だったため、勧告は受け入れられていませんでした。2015年1月に大統領選挙があり、大統領が代わったことで、昨年10月に国連の人権理事会で決議が行われました。これにより、今後は国際社会と連携して、スリランカ政府が過去の紛争において何が起こったのかを明らかにするプロセスを実施すると聞いており、今後はスリランカと国際社会の関係も変わっていくことが予想されます。

PROFILE
竹下昌孝(たけした まさたか) JICA南アジア部
2001年4月にJBIC(国際協力銀行、当時)に入行 。2001年から2003年まで、スリランカ、中国、モンゴル向け有償資金協力(円借款)業務に従事 。その後、中国事務所、アフリカ部等を経て、2015年から現在まで、JICA(国際協力機構)南アジア部南アジア第三課で、主にスリランカにおけるインフラ(電力、上水道、村落道路・地方給水等)整備に関する業務に従事。

Photo: UNHCR