ゲストトーク@仙台:『目を閉じれば、いつもそこに』藤井沙織監督、安田菜津紀さん

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ゲストトーク@仙台:『目を閉じれば、いつもそこに』藤井沙織監督、安田菜津紀さん

10月31日、仙台での『目を閉じれば、いつもそこに』上映後、藤井沙織監督、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんがトークゲストとして登壇されました。

―藤井監督、同作品を制作されたきっかけを教えてください

(藤井監督)平和について考えるきっかけとなる映像制作の仕事をしております。戦争を体験された方々に話を聞く機会があり、平和と戦争について深く考えるようになりました。私自身想像力が乏しいので、どこまで寄り添えるかを考えた時に、映像を撮りたいと思いました。ヨルダンに行こうと思って航空券を購入し、シリア支援団体サダーカの代表である田村さんに出会いました。

シリアの人々がどれほど悲惨な体験をしたのかを映像に収めたいと思ったのですが、初めてにも関わらずシリアの人々はとても温かいのです。家庭訪問で甘いお茶を出してくれて、1~2時間話をし、最後には「またおいで」と抱きしめてくれました。どこの家庭を訪問しても同じで、それが心に残りました。皆さん悲惨な体験を話してくれるのですが、その後には故郷のシリアがどんなに素晴らしい場所か笑顔で話してくれるのです。故郷を想う気持ちを伝えたいと思い、制作しました。

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藤井沙織監督

―シリアの人々はおもてなしの心をお持ちのようですね。安田さんは平和なときにシリアを訪問されていますが、そのときの関わり合いを教えていただけますか

(安田さん)同作品でも私が撮影した写真が登場しましたが、花の美しさや建物の壮大さなど、シリアはこういう所だったのかと驚かれた方も多いかもしれません。私は学生時代に、友人のイラク難民がシリアへ逃れていました。その頃シリアはイラク難民を多く受け入れていました。イラクには行けないけれど、シリアになら会いに行ける、ということでシリアに行きました。イラクからの難民が多いのならどれほど凄惨な状況かと思っていましたが、首都のダマスカスに着いたらイラク難民の友人が、ぜひ見せたい風景があると連れて行ってくれたのが、市場などでした。

藤井監督もおっしゃっていましたが、シリアの人々は全力で人をおもてなしします。初めて行ったのが2月で大寒波の年でした。鼻を押さえながら歩いていると、前から来た男性がすれ違いざまにティッシュを渡してくれました。また、お店で水を購入する際に大きいお札しかないと伝えると、(お金を払わずに)持っていっていいよと言ってくれたり。仲良くなってくると、家にご飯を食べにおいでと言われ、スケジューリングが大変なほど多くの人から食事に招かれるようになりました。

2013年からヨルダンに取材に行き、おもてなしの精神は失われていないと感じました。冬に訪れた際、難民の方を取材したときに「滞在先が寒い」と口走ってしまったことがあります。そうしたら、「泊まっているところは寒いのか」と毛布を渡そうとしてくれました。私は受け取れませんでしたが、次の日にはまたほかの家族の方が毛布を持ってきてくれ、まわりのシリアの人々もなぜ受け取らないのか分からないと言っていました。同じような体験を藤井監督もしたのではないか、と思いながらこの作品を観ていました。

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安田菜津紀さん

―今はシリアから周辺国に避難している人が400万人以上、国内で避難している人も760万人に上ります。2011年3月に紛争が勃発し、5年が経過しようとしています。紛争が終わったらすぐにでもシリアに帰りたいということでしょう。欧州へ危ない航海を経て移動する人も多くいます。藤井監督は、この作品に出演した人々の最近の状況はご存知ですか

(藤井監督)メールやスカイプでやりとりをしたり、ヨルダンに行った際にはかならず会いに行くようにしています。最初に出てきた弟を亡くした男性は友人と一緒にドイツに逃れ、新しい生活を始めようとしています。イラク人のアブダーガはトルコに逃れましたが、トルコでの生活が大変なため、当初は日本へ行きたいと言っていました。それに対し、日本で難民として生活するのは非常に困難という旨を伝えたところ、大変すぎるねという返事がありました。今はトルコで欧州が見える場所に住んでおり、欧州に行きたいと悩んでいます。

今年9月にヨルダンに行った際には、ほかの数人も欧州へ移動しており、ヨルダンにはもういませんでした。ある男の子と連絡をとったところ、以前はマケドニアにいたが、今はオーストリアにおり、ノルウェーのオスロを目指しているという連絡がありました。ヨルダン政府も増え続ける難民に対してできる支援が限られてきており、難民の生活がさらに追いやられているようです。ヨルダンには貧しい人も多く、難民支援への不満が高まってきているといいます。

また、日本の大学で教えているシリア人の方に会いましたが、「日本に来ることはもう故郷のシリアには戻れないという覚悟で来なければいけない。周辺国にいるのが一番いいが、それも難しい状況だ」と言っていました。

―お二人はこれからも中東情勢を日本で発信する形で携わっていかれると思います。今後の予定について教えてください

(安田さん)今後もヨルダンでの取材は続けていこうと思っています。シリア人のアイラン・クルディ君がトルコの海岸に打ち上げられた写真が世界中で駆け巡り、日本でもシリア難民についての報道が急に増えましたが、まだ欧州に流出するシリア難民の背景について伝え切れていないことが多いと思います。あれだけ多くの難民が欧州に流出するのには、シリア国内も、その周辺国も限界に来ているということだと思います。

シリア難民を多く受け入れている周辺国のヨルダンの首都アンマンにある病院に1人の女の子がいました。でも、まわりに大人が見当たりません。人口の1割に上る難民を受け入れているヨルダンのキャパシティは限界に達しており、怪我をしている女の子はヨルダンに逃れることが出来ましたが、両親は出来ませんでした。家族が分断されるということは、生活が成り立たないほど大変なことです。一家まとめて逃れる方法を考えると、危険な航路ではあるものの欧州へ逃れていくのではないかと思います。私は2016年初めにもまたヨルダンを訪問する予定です。

(藤井監督)最終的に彼らがシリアに戻り、彼らの笑顔を撮るまで追い続けたいと思います。今年11月にまたヨルダンに行こうと考えていて、「故郷への想い」を芯に置いて、今の現状について理解を深めていきたいです。映像作品になるかは分かりませんが、シリア国内に残っている人、ヨルダンで生活を続ける人、トルコや欧州へ逃れる人にも話を聞いてみたいと思います。

―中東と日本を行き来されているお二人から、日本にいる私たちはどのようにシリア問題に関わっていけばよいかアドバイスをお願いします

(安田さん)今年UNHCR難民映画祭が仙台で初めて開催されたということで、観客の皆さまの中には東日本大震災で被災された方もいらっしゃるかと想います。ご縁があり、岩手県陸前高田市で仮設住宅の自治会長に、シリアの冬は寒くなると伝えたがありました。そうしたら、仮設住宅の中でおばあちゃんたちが服をなんと10箱も集めてくれました。2011年の東日本大震災だけでなく、1945年の空襲、1960年のチリ地震を経験されている方々で、世界中からの支援で立ち上がることができたことから、恩返しではなく、恩送りをしたいと言ってくれました。こういう痛みを知っている国だからできることがあるのではないかと感じました。日本は難民の受け入れが進まないとされていますが、例えば明日内戦が終わったとしても、すぐに故郷に帰れる訳ではありませんので、傷ついた人々の居場所を作ってあげることが必要なのではないか、と思いました。

(藤井監督)まわりのあまり関心のない人々に、友人が撮ったものだと関心を持ってもらえるかと思い、ヨルダンで撮影を始めました。少しでも関心を持ち、まわりの人に状況を知ってもらうことが大切なのではないかと思います。今この時も、彼らはヨルダンで日常を過ごしています。ふとしたときに思い出して、自分のこととして考えていくことが重要なのではないかと思います。

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Photo:UNHCR

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ゲストトークでは服の回収についても話が及びました。東北地方では東日本大震災時に服の支援を受けたことから、難民支援における服の回収において仮設住宅に住む方々が被支援者の視点を加味した服の仕分けを行ったそうです。UNHCRとパートナーシップを結んでいるファーストリテイリングでは、同社で服を選別をし、UNHCRが難民のニーズを伝えることで、ニーズとのマッチングをした上で難民キャンプに服が届けられています。

 

プロフィール

藤井沙織監督

1984年生まれ、広島出身。 20代のときバックパックを背負い数十カ国を旅する。25歳の時訪れたチベットで同年代の女性の「もっと私たちのことを日本人に知ってほしい」という一言 がきっかけで「伝える」ことを仕事にしようと番組制作会社へ入社。戦争関連報道に携わる中、戦争と平和についての本質に迫りたいと考えるようになる。 2013年、フリーとなり国内の戦争体験者の声を伝える活動を続けるとともに、シリアの紛争にも関心を持ち、ヨルダンと日本を往復しながらシリア人の声を 届け続ける。

 

安田菜津紀さん

1987年神奈川県生まれ。studio AFTERMODE所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。共著に『アジア×カメラ 「正解」のない旅へ』(第三書館)、『ファインダー越しの3.11』(原書房)。上智大学卒。