【『僕の帰る場所』藤元明緒監督上映後トークイベントレポート】

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イタリア文化会館でのUNHCR WILL2LIVE映画祭3日目、9月23日(月・祝)、『僕の帰る場所』の上映後に、藤元明緒監督によるトークイベントが行われました。聞き手は国連UNHCR協会職員の中村恵が務めました。

中村:藤元監督、どうぞよろしくお願いいたします。まず、『僕の帰る場所』を制作されたきっかけについて、お話しいただけますでしょうか?

藤元監督:大学卒業後に大阪のビジュアルアーツ専門学校に行き、上京した2013年頃、「ミャンマーで映画を撮れる企画(監督/脚本家問わず)」の公募があり応募しました。これがミャンマーとの初めての出会いで、それまではミャンマーがどこにあるかも知りませんでした。
最初はまったく違う話でしたが、その企画ではミャンマー政府検閲を通らない、と頓挫して、スタッフは解散してしまいました。それまで、ミャンマーで映画を撮りたいと言っていたものの、日本に居るミャンマーの人たちに会ったこともなかったので、身近にいるミャンマーの人たちをもっと知るために、高田馬場にあるミャンマーのお店に通うようになりました。そこで、難民申請中の人、難民認定された人、様々な人々と出会い、興味を持つようになりました。日本人で難民申請を手伝っている個人ボランティアの方にも話を聞きました。品川の入国管理局に行くボランティアに同行して、そこでモデルになる家族の方と出会いました。
そのお父さんと親しくなり、奥さんが前の年に子どもを連れてミャンマーに帰ってしまい、ずっと日本で育った子どもたちが、全然ミャンマーに馴染めず、泣いて喧嘩ばかりしていると聞きました。
この子どもたちがどうしているかをドキュメンタリーに撮りたいと思い、ミャンマーまでその子たちに会いに行ったら、子どもは成長して、ミャンマーに馴染もうとしていました。この家族がどうやって壁を乗り越えたのかを再現してみたいと思い、フィクション映画に方向転換し、この映画の企画が新たにスタートしました。

中村:ありがとうございます。本作に登場する家族は、日本で難民申請中であろうと推測できるものの、あまり社会的な背景には焦点を当てず、普通の家族の視点から描かれています。そのあたりの意図についてもお聞かせいただけますでしょうか。

藤元監督:究極のホームビデオを撮ろうと決めました。そこで、なぜ彼らが日本に来たのかなどの、難民である設定は描かないことにしました。難民という大きいものがあると、個人がどんどん見えなくなっていきます。取材の時に印象的だったのは、難民としか呼ばれないのが気になると、彼らが言っていたことです。そういう個人の意見を尊重したいと思いました。やはり人どうしの関わりあいから作っていくことが大事だと考えていました。

中村:確かに、同じ人間どうしとしての共感が大切ですね。さて、10月からこの映画は自主上映になると伺っていますが、どうしてその形を選ばれたのでしょうか?

藤元監督:ちょうど去年10月から全国公開が始まり、1年たちようやく落ち着いたところです。自主上映とは、この映画を広めたい方にデータをお渡しして、公民館とか教室とか、特定の場所で上映していただけるシステムです。僕とプロデューサーの話し合いの結果、劇場公開の後はDVDやネット配信を絶対にやらず、自主上映か映画祭、特集上映などのイベントで、声がかかるかぎり長く上映してもらおう、と決めました。僕にとって映画の条件は、複数の人で見ることと、きちんとした音響があること。映画館という広い場所で、皆と観るための作品を作ったつもりで、ネット配信でスマホで⾒たりDVDだと話が変わってきます。映画館で映画を見る文化を残したいので、対抗するわけではありませんが、なるべく流されずにやっていきたい。大手の企業とは異なり、そういうところがこの映画の強みだと思います。
(自主上映について→ https://jmmca.or.jp/independent-screening_pol/

中村:ありがとうございます。このたびの映画祭では、「難民の生き抜く意志。その強さを、伝えたい。」をテーマとして上映作品を選ばせていただきました。その点を踏まえて、監督からご来場の皆様へメッセージをいただけますでしょうか。

藤元監督:強さの裏返しですが、生きづらさは、いろんなところで起きている。その中で、全然違う国のことですが、映画を通して身近に感じられることってあると思います。そこからどうしていくかっていう動きが大切になってくる。自分は撮影するという行為を通じて見せていけたらいいなと考えています。今回の上映作品のひとつである『ミッドナイト・トラベラー』も素晴らしかったので、上映の輪を広げていくなど、日本にいてもできることはたくさんあります。映画とは別の活動に広がっていったら、日本にいるだけでもパワーを送れるのではないかと思ったりします。

中村:藤元監督ご自身、ドイツにいる『ミッドナイト・トラベラー』のファジリ監督と連絡を取り合いたいとおっしゃっていましたね。

藤元監督:こういう作品こそ日本で配給されるべきで、同じ監督として質問したいことがいろいろあります。これこそ、映画祭ならではのご縁だと思います。市民の声として、こういう作品がありますよと劇場に伝えると、そんな声を反映してくれる劇場もあると聞いていますので、自分も声をかけていこうと思っています。いずれファジリ監督とはお会いしたいです。

中村:それではここで、会場からのご質問をお受けしたいと思います。お時間が限られているため、映画の感想やご意見ではなく、藤元監督へのご質問でお願いいたします。

質問:ミャンマーで上映できる環境はありますか。

藤元監督:2014年にミャンマーで撮影しましたが、国際交流基金主催の日本映画祭を通して上映し、その後も現地のインディーズフィルムの映画祭で上映しました。脚本検閲と撮影中の検閲、上映時の検閲がありましたが、それをクリアすればできます。ここ5年ぐらいで検閲はゆるくなってきていると感じます。

質問:自分もディレクターなのですが、子どもたちの表情が自然で素晴らしい。どのような演出であの演技を」引き出されたのでしょうか。脚本はあったのでしょうか。

藤元監督:脚本はあり、脚本検閲もありました。撮影中は一般的な演出の仕方で進めました。当時6歳のお兄ちゃんの頭がよくて、演出内容の理解が早く助かりました。弟とお兄ちゃんが本当の兄弟で、お母さんも本当の親子で、お父さんだけが他人の方でした。そこで、撮影前1~2か月、本物の家族になれるように一緒に過ごしてもらいました。撮影中、弟は撮影中だとわかっていなかったと思います。スマホぐらいのカメラでとっていたので、写真を撮られると思って待っていて、彼があきたら撮影が始まりました。弟が脚本どおりになるように大人がシチュエーションを作っていったという感じです。弟にどう泣かせるかという会話をこっちがして、本当に泣かせたりして。やはり、最大の演出として、撮影前の時間の過ごし方が大切でしたね。弟に知らない人をパパと呼ばせることが最大の壁で、それをクリアした時点で、この作品はいけると思いました。90%ぐらい実話が元になっています。

質問:びっくりしたのは役所に行った時に、「そんなに無理しないでミャンマーに帰ればいいのに」と言われていたことなのですが、役所の人たちが実際にそうした発言をしたのですか。

藤元監督:そんなことを言っている人もいるし、親身になってくれる人もいます。入国管理局には、いい人もいればそうでない人もいて、いろいろあります。ただ、難民申請中の方は日本語の能力も普通の留学生とは違うので、そういうつもりで言ったのではないものの、その人にはそういうつもりに聞こえるというミスコミュニケーションも多々あるだろうと思います。僕も気をつけているのですが、説明し、気持ちを分かってもらえるような態度が大事かなと思っています。

中村:たまたまミャンマーと接点を持った日々から、この年月で、個人的にもミャンマーとの距離がかなり近くなられたとのことですが・・・。

藤元監督:この映画の後、ミャンマーの人と結婚し、最近、息子も生まれました。どっちで育てるかという議論になったりして、この状況はどこかで見たことがあるなと・・・。映画を撮るって不思議だなと、つくづく今思っています。どこにあるかわからないという状態から始まり、だんだんミャンマーという場所が大切になってきています。こんな中で、これからも映画を作っていけたらいいなと思っています。

中村:これからも、ミャンマーと日本の友好のためにも、日本の映画界と世界とのつながりのためにも、益々ご活躍いただきたいと思います。どうもありがとうございました。