【『判決、ふたつの希望』首都大学東京教授・木村草太さん、JICA・田中理さん上映後トークイベントレポート】

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「UNHCR WILL2LIVE映画祭2019」東京上映2日目の9月22日(日)、『判決、ふたつの希望』の上映後に憲法学者、首都大学東京教授の木村草太さん、JICA(国際協力機構)職員の田中理さんによるトークイベントが行われました。聞き手は国連UNHCR協会広報委員の武村貴世子が務めました。

 

それぞれの専門から見た映画の感想

 

武村:おふたりに映画の感想から伺いたいと思います。まずは、憲法学者の木村さんはどのようにこの作品をご覧になりましたか?

 

木村さん:映画では、レバノンの情勢が、歴史的にもまた現在の政治的にも、厳しいということが描かれていたわけですけれど、そうしたマクロで見た社会の厳しさとは別に、個々の人間には非常に強い希望が描かれていると感じました。

 

武村:田中さんは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)での勤務経験があり、パレスチナ情勢をご存知です。この映画はエンターテイメントとしてもすごくよくできている作品だと思いますが、やはり日本人にとって、わかりづらいところもあったと思います。些細な口論が国を揺るがす騒動にまで発展してしまった背景などを、ぜひ田中さんに感想とともに、お話しいただきたいです。また、私たちが気づいてない、レバノンでよくぞここまで言わせたなという、ぎりぎりのセリフもあったそうなので、ぜひそのあたりの解説などもお願いでききますでしょうか。

 

田中:法廷ものとして心に残る映画だと思ったのですけれども、2つほどポイントはあるかなと思います。一つは、ヤーセルがパレスチナ難民であるということで、レバノンでのパレスチナ難民の境遇というのは苦しいわけです。例えば、外国人扱いですので、高等教育の費用が外国人と同じになるんですね、日本でいうと、国立大学に行くにも私立大学と同じぐらいの学費がかかってしまうとか。そういう苦しい中にあるんだというのは、背景の一つにあるかなと。
もう一つは、やはりレバノンは非常に複雑な社会情勢ですよね。宗教は公認されているだけでも18宗派あって、実際、国会議長、大統領、首相を大きな3宗派が分担するというような政治構造になっています。そのなかで出てきたダムールという地名。トニーの出身地であるダムールにはキリスト教のマロン派の人がいっぱい住んでいるのですが、かつて何百人と殺されてしまったという歴史があります。これはトニーが6歳の時ですね。ただその6年後の1982年には、今度はシャティーラというパレスチナ難民のキャンプが襲われてしまって、そこでもパレスチナ難民が1000人、2000人単位で殺された。そういう背景が両方の人物の後ろにあるということなんですね。そういうことを知っていると、映画を深く理解できるかと思います。
特にぐさっときた言葉が、シャロンという名前。シャロンは、イスラエル軍が包囲するシャティーラで虐殺事件が起きたときのイスラエル国防大臣で指揮官だったんですね。シャロンは、虐殺を見て見ぬふりをしたとして国際的な非難を浴び、国防大臣をクビになっています。で、その「シャロンに殺されればよかったんだ」、とのトニーのセリフ。パレスチナ難民にとっては非常にぐさっとくる言葉であって、これを映画の中とはいえ口に出させるというのはすごい勇気だなと思いました。

 

 

ジアド・ドゥエイリ監督について

 

武村:田中さんはジアド・ドゥエイリ監督にお会いになったときにそのお話をされましたか?

 

田中:「『シャロンに殺されればよかった』とよく言わせましたね、勇気があるね」と言いました。そうしたら、監督は「表現の自由だから」と。敢えて強気で言ってきたのかもしれませんが、決意の人だと思いました。

 

武村:木村さんも監督にお会いになったということですが、どんな方でしたか?

 

木村:わたしは法学者ですので、法廷ものという視点で色々お伺いしました。ベニヤ板を法廷に張ったというのが非常に印象的でしたね。法廷の場面がありましたが、実際のレバノンの裁判所の部屋を使って撮影しているそうなんですね。裁判がお休みの時に撮影させてもらったと。ちょっときれいにするために板を勝手に張ったらしいのですが、きれいになったのを気に入って、裁判官もそのまま使ってくれているということをおっしゃっていました。日本ではちょっと考えにくいことです。そもそも裁判所を実際に借りて撮影ということもあまりないでしょうし、勝手に部屋をいじったりしたら怒られるんじゃないかと思います。そのあたりが、権力というか、国家と市民が近いところにあるのかなという印象を受けました。

それと関連して、大統領が二人を呼ぶシーンがありましたよね。そもそも一般市民を大統領が呼んで話すということがあるのかと聞いたところ、それは実際あったわけではないけれど、とてもリアリティがあって、大統領がそんなことをするのかというケチは全然ついていないということでした。

 

 

日本が貢献できること

 

武村:さてお二人は初めての対談ということで、異なる分野の専門家お二人それぞれにご質問をしていただければと思います。ではまず、木村さんからお願いします。

 

木村:中東は非常に複雑な歴史を持ち、現在でも政治情勢は安定しているとは言い難い地域かと思います。またそうした場所で大変困っている方も多いかと思いますけれども、日本が、あるいは日本人がそこで何か貢献できること、やるべきことにはどんなことがあるとお考えになっているか、教えてください。

 

田中:一番は仕事がしやすいという印象があります。歴史的に見ると、今起こっている中東での問題というものに日本は政治的に深く関与してなかったんですね。関与してないのに何でやるんだと言われる方もいらっしゃいますが、逆に関与していないだけに、どことでも仲良くなれるわけです。街を歩いていても、親日的。日本人だと言うと、ようこそ、ようこそといってくれます。今テレビでも、ニュースでも話題になっているイラン問題とかもありますが、日本はイランとも国交があるし、サウジアラビアともアメリカともイスラエルとも国交がありますね。

そういう友好関係が非常に強いという意味では、この地域の安定のために貢献できる余地があるのではないかと思っています。政治や外交は政治家の方々にお任せするところがありますが、私の仕事で言えば地域の安定ですね。エネルギーとか海上交通のためにはあの地域が安定しなければいけませんので、地域の経済と社会がきっちりと繁栄していく、その邪魔になるような戦争が起こらないようにするというのが大事だと思っています。

 

食事から知る中東

 

木村:逆に日本が中東からいろいろなものを取り入れるということもできると思うのですが、あまり日本で中東料理を食べる経験がないと思いまして。この間、中東料理に詳しい方においしいものを教えてもらったのですが、好きな中東料理ってありますか?

 

田中:マクルーベをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ヨルダン、パレスチナあたりでよく食べられる、日本で言えば炊き込みご飯なんですが、お鍋にお肉などを入れて炊き込み、それをお皿の上でひっくり返して、鍋をパカッと外して食べます。あと、デーザートでデーツは有名ですよね。干し柿みたいな感じです。この間、アフリカに出張したのですが、帰りにドバイに行った時にも思わず買ってしまったという(笑)。

 

木村:ぜひそういうものを輸入してほしいですね。

 

田中:刺繍とか、パレスチナなどの美味しい食べ物を輸入する友達がいます。あ、きれいだなとか、美味しいとかいうところから興味をもっていただけると、遠いとか複雑とか思いがちな中東にも入りやすくていいのかなと思ったりします。

 

武村:ファラフェルもおいしいですよ。ひよこ豆のコロッケみたいなもので、最近日本でもおつまみで出てくるところも増えてきて。実は中東の料理が日本の食卓にも上がっていると最近実感しています。

さて、田中さんから木村さんへの質問はいかがでしょうか。

 

表現の自由について

 

田中:映画の中では、辛辣なセリフが飛び交って、それがもとでけんかが起こるわけですが、表現の自由というものに興味があります。日本国憲法で表現の自由は保障されていますが、同時に、何でもかんでも言ってもいいのかというと、マナーの問題もあると思うんですよね。ヘイトスピーチ、ヘイトクライムという問題もあります。表現の自由に関して、海外と日本とで違いというのはありますか?

 

木村:一般論としては表現の自由はとても大事な人権です。人権を大事にすることを標榜する国においては必ず保障されるし、そのレベルも非常に高いものでなくてはいけないというのが大原則となります。ただ、2つ注意が必要です。まず、1つ目は、表現の自由は、公権力に対する権利だということ。公権力が強制力をもって、表現を制限してはいけないという自由なのです。表現の自由はすごく大事たから規制してはいけないというのは、公権力が規制するとろくなことにならないから、そこは押しとどめなさいということを意味しているわけです。

もう1つは、市民が表現者に対して「それはおかしいんじゃないの」と批判して、表現者の側が、それを受け止めて反省をして、表現をやめるというのは表現の自由の規制では全くなくて、市民社会のあるべき姿だということです。アメリカでは、表現の自由が非常に強く保障されなくてはいけないとされていて、ヘイトスピーチであっても、犯罪として罰してはいけないし、個人的な名誉棄損とか、それ自体が傷害とかになっていなければ、規制してはいけないというルールで、法律などが作れられています。ただ、それはヘイトスピーチはどうでもいいということ、いくらでもやっていいこととされているということではありません。差別発言は、市民社会で批判をしあって、市民社会として抑制しあっていくのだという考え方もあるわけです。

公権力にヘイトスピーチ規制の権限を渡してしまうと、我々が思うような差別的な発言を規制するためだけではなく、政府を批判する正当な発言の規制に使われたりすることが危険です。だからこそ、市民社会で、強制力を使わず、言論で批判し合ってヘイトスピーチを止めて行こうという方が、穏当で適切だと考えられます。

 

田中:市民レベルで言えば、表現は自由だけれども、他者を傷つけないという理性が不可欠ということですね。

 

難民支援の現場で

 

武村:田中さんはパレスチナ難民への支援活動を続けられてきて、支援現場でこれまで最も印象に残っていることは何ですか?

 

田中:パレスチナ難民支援をしていた当時、ガザで紛争がありました。紛争が終わって2週間後くらいに行ったのですが、私の前に突然、車いすの男性が現れて。両脚が無く、片手もありませんでした。泣き叫んでいて、何と言っているのか聞いてみたら、紛争中はメディアが報道してくれるが、紛争が終わった途端にガザの話がなくなってしまった、と。こういう状態の自分たちみたいなのがいっぱいいるんだと。停戦になった瞬間にメディアがサーッと引いていって世界から忘れさられてしまうことがすごく怖いと言っていました。こういう問題はどこでも起きていて、どうしても暴力が起こっている間だけ人々の意識がいきがちだと思います。大きな事件が起こっていることを知ることは大切なことですが、そのあとも人々がそこに生きていることも、我々は知らなくてはいけないのだと思っていて、彼の叫びはすごく強く感じました。

 

木村:日本は、国内のことでわりと完結できる国だと思うので、どうしても普通に暮らしていると、国際社会への関心というものがとても弱くなってしまう。だからこそ知ることが大事だと感じました。

 

難民支援をする意味

 

武村:木村さんは国連UNHCR協会のご支援者でもあります。木村さんにとって難民を支援するというのはどのような意味を持っているのでしょうか?

 

木村:やはり何らかの支援を誰もがしなくてはいけないと思っていて、個人として何かできることは探すべきではないのかと思っていました。個人ができる国際貢献にも、いろいろな方法があり、募金先も様々な選択肢があります。国際機関への募金というと、私たちは、まずユニセフを思い浮かべます。学校でも募金を集めたりして、知名度は抜群。しかし、国際機関には、ユニセフだけではなく、いろいろな機関があります。広い視野を持って、どこに募金するのがよいか、考えるべきだと思いました。難民問題は、国際社会のパワーゲームの中で生じる問題です。そうすると、国家だけの支援に任せては、難民支援の実践がパワーゲームに巻き込まれてしまい、本当に困っている人が助からなくなるかもしれないでしょう。となると、UNHCRにも、特に、個人で支える部分がなくてはいけないんじゃないかなと考えました。

 

武村:今日はお二人から、私たちが難民について考えるきっかけとなる貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。