荻上チキさん×佐藤慧さんトークイベントレポート
9月8日(土)、東京会場での『君たちを忘れない 〜チョン・ウソンのイラクレポート〜』上映後、評論家の荻上チキさんとフォトジャーナリスト・ライターの佐藤慧さんによるトークイベントが行われました。
最初に、イラク、クルド自治区の混乱に至るまでの歴史的背景と現状が語られ、佐藤さんが映画の感想に触れました。
「この映画は、『あなたならどうしますか?』という大きな問いを投げかけてくると思いました。僕自身も難民キャンプの現場にいると、どうすればよいのかということを考えます。この映画が何のためにあるのかというと、『みんなで考えましょう』ということだと思うんですよ。まだ誰も解決がすることができなくて、その解決の担い手というのは僕たち一人ひとりなんじゃないかということを、語ってくれる作品だったと思います」。
荻上さんは、難民問題は様々な地域ごとに多くの課題があるが、「生活を営んでいく希望とリソースが足りない」という共通の課題をどう解決していくかが困難であると話しました。また、この作品の前に、UNHCRの歴史を紹介する映像が上映されたことに触れ、国連の歴史とその存在意義が解説されました。
その中で、荻上さんは、「ただ戦争が起きていないだけで、みんなの暮らしが豊かで安心できるかというとそうではない。今戦争が起きていないという状況をキープできていたとしても、いずれ戦争が起きるかもしれないという火種を消せているわけではない。だから積極的に平和主義に社会がシフトしていくことによって、戦争の火種になるようなことを積極的に止めていく。第二次世界大戦後、積極的平和主義の理念のもとに、人種差別、男女差別、貧困対策、衛生、教育の問題などをどんどん解決してきましょうということで、今ある国連のミッションが作られていきました。けれども戦後70数年経っても、このミッションは完成されていません」と語りました。
この言葉を受けて、佐藤さんは「映画の中で難民キャンプの問題がたくさん出てきましたが、これはキャンプの問題ではないんですよね。日常の中で僕らが解決していない問題が、非常時になると噴き出してくる。それが社会的弱者には顕著に出てしまう。それが戦争の現場であると思います」と述べ、イラクで出会った人たちについて、次のように話してくれました。「どこに行ってもお母さんたちが強い。イラクのキャンプの気温は日中50度。人間が生きていけるような環境ではない。特に幼い子が亡くなってしまう。お母さんたちはその悲劇を経験したからこそ『今生きていることは大切なこと。だから周りにいる人を愛するのよ。家族といる時間は大切なのよ』ときちんと正面から言ってくれる。その思いは、この地で起きている悲劇を伝えること以上に伝えていきたいし、僕たちが学ぶことなんじゃないでしょうか」。
この作品には、障害を負った人たちが登場します。荻上さんは、「障害を負うと、様々な行動が制約される。例えば、足を失うと移動ができなくなる。けれども、移動障害というのは足がないということでただちに生まれるものではない。義足や、車椅子、舗装された道路があれば、その人は移動が可能になる場合がある。つまり、身体が傷ついている=何かの障害を背負わなければならないということではない。しかし、それを埋め合わせるためには様々なサポートが必要です。そして、移動障害が起きるということは、コミュニケーション障害がさらに付随してくる。例えば、仕事ができなくなって、自分で稼ぐことができなくなってしまうことで、鬱々としてしまう。この映画の中に出てくる人は、身体的なものだけでなく、精神的な疾患やそのリスクが高い方々だと思います。そして、そういったことが起きてしまう現実を国連はわかっているし、支援もしたいと思うんです。けれどもできないことがある。その一つの理由として、資金不足もあると思います」と話し、「佐藤さんは現場を見ているので、映画を観ていて、考えることがたくさんあったのではないでしょうか?」と問いかけました。
佐藤さんは「この映画の中で、僕が1番つらいと感じたのは目が見えなくなったお父さんでした。彼は目が見えなくなってしまったことで、仕事ができなくなり、家族を支えることができなくなってしまった。東日本大震災後の取材をしていても、『自分が社会の役に立っているという感覚がないということが苦しい』という話を聞きました。難民キャンプでも、『ここにいれば生活は保護されているが、自分の力で稼ぎたいし、家族を養いたいんだ』という声がありました。この映画に登場するお父さんが、奇跡のように目が見えるようになることがあればいいですが、現実的に考えた時には、難民キャンプから移動して、生活が再建できる場所に移り住んだ時に、周りの環境が彼らを支えて、自分の役割を見いだせる社会が作られることが解決に繋がるのかもしれません」と答えました。そして、「なぜ、戦争をするのだろうか。戦争をすることでこれだけ多くの悲劇が生まれているということに、まずはきちんと目を向けないといけない」と会場に訴えました。
荻上さんは「最近は危機をどう乗り越えるのかということがテーマになっていて、国家間の戦争というよりは、国内での治安の不安定な状況における派閥闘争や混迷状況に対して手出しができないという状態になりつつありますよね。難民問題の難しいところは、国連は各国の調整役だということです。人々の自由や生活、権利を保障する主体は国家にあります。例えば、日本にいるから、日本国から憲法に基づいた権利が保障されるという状況にあります。しかし、難民となることで、本来は保障されていいはずの人権というものが、保障されなくなってしまう。では、各国の避難した先で保障すればいいじゃないかという話になると、各国の事情で、難民を受け入れなかったり、受け入れたとしても、制限や線引きの問題がある。今ある困難というものを知って、その解決への道筋のために、自分が難民という状態になって、立場が入れ替わるかもしれないという共感性を深めていくために、メディアの役割が問われていくと思います」と話しました。
佐藤さんは、「共感力や想像力を育んでいくしか、人間が戦争をやめる手段は無いのではないでしょうか。人の想像力を喚起していくのは、恐怖と希望の2つだと思います。世界に恐怖が蔓延すると、知らないものに触れるのが怖い、自分の生活だけを守りたいという保守的な考えになってしまいがちです。けれども考え方を変えると、未知だからこそ、そこには希望があります。僕が世界のあちこちの国にまた行きたいと思うのは、その国に大切な人ができたり、素敵なものを見たり、学ぶことができるからなんです。どうしてこんなにつらいことばかり起こるのだという世界でも、それをぶちやぶる出会いというものが、必ずある。そうした未知のものや希望に向かって、心の羅針盤が向く感性を育てていく。そのためにメディアがもっと機能していけばいいと思います」と述べました。
荻上さんは「僕は恐怖の力もいい意味で侮れないと思います。こうした映画を観ることも一つの恐怖の疑似体験なんです。こんな状況にいる人がいていいのだろうか? 自分がもしもこういったことにあったらどうするか? そうした不安や恐怖を、映画を通して、安全なところで体験する。そして、実際にそうした場面にあった時に、すぐに動けるように備えておく。そうすることで、希望に向かうための取捨選択ができると思うんですね。また、いろいろな国に行く機会があったら、少しでも多くの人と繋がっていく。人と人とのリレーションシップは、いずれ世界の回復力に繋がり、平和を築き上げて行くことができるのではないかと思います」と伝えました。
トーク後の質疑応答では以下の質問がありました。お二人の回答をご紹介します。
Q:日本人として世界にできることは何でしょうか?
荻上さん:こういった映画を観た時に感想を話したり、シェアをするだけでも、充分な活動だと思います。支援というと、お金を出すとか、誰かを助けるとか、ビッグステップが問われているようなところがあると思うのですが、スモールステップでできることは本当にたくさんあります。
今日の映画の感想をつぶやくだけで、誰かが難民映画祭に行ってみようと思うかも知れない。また、日々のニュースの中でも気になったキーワードがあったら、そのキーワードを放置するのではなく、その言葉について数千字くらいは説明してくれる真っ当な記事にアクセスしてみる。
そうした小さな一歩を積み重ねていくことで、世界に対する誤った判断を止める。また、この国のリーダーも含めて、各国のリーダーの政治決定が、国際協力や様々な情勢に影響を与えていくわけですから、リーダーたちの判断がそれでいいのかということを考えるというのもスモールステップの一つなのかなと思います。
佐藤さん:いろいろなところに旅行に行って、友達を作って世界を広げていく。そして、日本に戻ってきた自分が隣の誰かに影響を与えることができたら、支援の輪は広がっていくんじゃないかなと思います。
Q:どういう変化を加えていくことができると思いますか?
佐藤さん:こうあればいいなという行動はもちろんしますが、受け手がどう感じるのかというところまでは変えてやろうと思いすぎないようにしています。
少なくとも、僕は戦争を克服することができると思っているので、僕が希望を持ち続ける。それが他の人たちにも影響を与えることができたら、100年後には、そういう希望を持つことが普通になってくれるんじゃないかと、ゆるやかな変化を考えるようにしています。
また、「これをやらなかったら平和になるよ」という方程式ができてしまうと人は考えなくなってしまう。
だからこそ、様々な人と語ることで、情報を得て、日々考え続けるということも変化の一歩になるのではないかと思います。
荻上さん:理不尽なことは、特定の人たちにより重くのしかかるという状況があります。そうした理不尽さをまず改善していくということ。
今困っている人が、「困っている」と言っているのだから、その声を聞きましょう。けれども、「困っている」という声を妨げようとする人たちがいます。
ですので、困っている人がいるのに「いないですよ」という妨げに対して「いますよ」と言い続けて、困っている人を、社会の中で見えるようにしていくことが大事です。
見えるようになると、社会は行動を変えなくてはいけないようになると思うんですね。
こういう話をすると、「では、私は何をすればいいですか?」という質問をよくされます。積極的義務と消極的義務という言葉があります。積極的に社会に対して「こうしましょう!」と言うだけではなくて、消極的義務として「悪いことをしない」ということが大切です。
例えば、誰かを人種やセクシャリティで差別しない。それに加担をしないというだけで、被害者を減らし続けています。
だから、もうすでにみなさんは被害者を減らし続けるというスーパーパワーを発揮し続けているんですね。そうしたことを積み重ねながら、もしそういうことが生まれそうな場面があったり、身近な生活の中で次世代がそうしたことをしそうになったら、「それは問題なんだよ」と思える感性を持っているだけで、すでに変化は起きているということを大事にしていく。
社会が変わろうとしている時に、変わろうとしているパワーを支えられる時にはそこに参加をする。できないときは、見守る。せめて邪魔はしない。そういったことでそれぞれが関わってくれるといいかなと思います。
(文・武村貴世子/国連UNHCR協会 広報委員)