【札幌 ゲストトーク『イラク チグリスに浮かぶ平和』: 綿井健陽監督】
9月24日札幌プラザ2・5で『イラク チグリスに浮かぶ平和』上映後、 綿井健陽監督にご登壇頂き、トークイベントを行いました。司会はUNHCR河原直美が担当しました。
まず綿井監督がこの映画を撮られた理由や、監督とイラクとの関わりについてお伺いしました。(→同内容は仙台でのトークイベントレポートに掲載しておりますのでご覧くださいhttps://bit.ly/2cP3vaH) そして今年4月から5月にかけ、イラクのバグダッドを訪問した際の写真をスライドでご紹介くださいました。
その後、会場の参加者から作品を観ての感想や質問が出されました。
会場からのご質問:普通の人が戦争に巻き込まれる感じがよくわからなかったのですが、今回監督の作品を観てその状況が少し理解できた気がします。何十年か前に日本でも、親戚などに戦争の犠牲者がいるというイラクと同じような状況だったと思います。
作品を観ながら、日本とイラクでの「戦争体験」の違いについても考えてみました。日本では、外国の戦地から戻った男性は多くを語らず、また日本に残っていた女性も現地で戦っている様子を直接見ていないという状況がありました。その点イラクでは、日常の中に「アメリカ」といった憎しみの対象となるような特定の国があり、皆さんとても辛い思いをされているのではと思います。そのあたりについてはどのように感じますか?
綿井監督:2003年3月にイラク戦争が始まった時、私はバグダッドにいました。当時バグダッドに滞在していた報道関係者は、開戦前後は慌ただしい様相でした。でも、あるバグダッド市民は、「イラクでの戦争は今に始まったことではない」と言ったことを覚えています。確かに地元の人たちは、開戦前後はさほど慌てる様子がありませんでした。あの当時はイラクから国外へと逃れる人も少なかったんです。1980年代のイラン・イラク戦争、 1990年代の湾岸戦争などを既にたくさんの戦争を経験してきたからという背景もあったと思います。イラクでの戦争、特に宗派抗争・内戦状況が最も悪化したのは、2006年~2008年ごろです。年間3万人近くの死者が出て、難民として周辺国へ逃れる人たちが当時は100万人以上いました。今とは逆で、当時はシリアへと逃れるイラク人たちも多数いました。そしていままた、「イスラム国」(IS)の支配地域から逃れる難民や、イラク政府軍が攻撃した街から逃れる国内避難民も多数出ています。
イラク戦争で空爆が始まった時「皆さんは家でどんなふうに過ごしているのですか?」とイラクの人に聞いたことがあります。そうすると、夜間の空爆に備え「なるべく家の真ん中に家族が集まるようにしています」と言う答えが返ってきました。その理由は「爆撃によって窓ガラスが壊れると、その破片が飛び散って怪我をする恐れがあるから」と言うことでした。なるべく窓ガラスがない部屋の中央に集まるということでした。また「そのような状況で、家ではどんな話をするんですか?」と聞くと「なるべく楽しい話をするんです」と言っていました。特に子どものいる家庭では、一緒に歌を歌ったり、絵本を読んだりして、子どもたちが戦争の雰囲気や音をなるべく感じなくてすむような時間を一緒に過ごすとおっしゃっていたのが印象に残っています。
イラクの人々にとっての「敵」とは誰なのか。これはとても答えにくい問いです。今から10年ほど前、「イラクでは、いま誰と誰が戦っているんですか」という質問を、日本の講演会場で受けたことがあります。実はこれは大変難しい質問ですね。イラクの人に直接聞いても答えに窮したり、その時々で様々な答えが返ってきたりします。過激派組織「イスラム国」の名前を挙げる人もいれば、イラク政府の軍隊や治安部隊、外国から流入する民兵組織、米軍やアルカイダなど、それは一様ではありません。いったん戦争が始まると、たとえ外国軍が撤退しても、内側での政治対立や権力抗争が激化し、誰と誰が戦っているかわからないけれど、次々に市民が殺されていく。旧ソ連侵攻後のアフガニスタンもそうでしたが、戦争における「敵」や「味方」は、複雑に入り組んでいて常に変化し、そんな区分けが通用しない争いが今でも起きているという状況です。
会場からのご質問:フセインの銅像が倒されるシーンが出てきました。この映像はあたかもイラク人が喜んでいるというイメージを与えるための米国によるプロパガンダではないかという声も聞かれました。実際のところはどうなのでしょうか。答えはないかもしれませんが、監督自身がどう思われたのか教えてください
綿井監督:この映画では、フセイン像にロープをかけて倒そうとした男性や、フセイン像をハンマーで叩く人のインタビューシーンが出てきます。あのフセイン像が倒される映像に関しては確かに様々な噂やデマが出ました。私は「あのフセイン像を倒した男たち」という番組企画で、あの場にいた人がどのように集まり、どんな思いでそこにいたのかということを取材し、テレビ朝日の報道番組「ニュースステーション」で放送されました。当時、あのフセイン像が経っていた広場の周辺に住んでいた人が主に集まって、また反フセイン政権の思いが強かったシーア派の人が多く集まっていました。最終的には米軍の装甲車がフセイン像を引き倒すのですが、そのフセイン像が倒されて行く経緯はとても複雑で、いろんな人たちの思いが交錯して、いろんな事実が同時進行します。ここで詳しく説明する時間が無いのですが、興味がある方は、拙著『リトルバーズ』(晶文社)に詳しく書いていますので、読んでみて下さい。
映像の仕事をしているとよく感じることなのですが、泣いている人や笑っている人という「わかりやすい」映像はよく使われます。でもこの作品の中には、あの現場の周りで淡々とその様子を見ている人、呆然とする人々も映し出されています。そのような映像はニュース映像になりにくく、普段皆さんが目にすることは少ないと思います。
しかし、あれから10年が経った今、当時フセイン像を倒して喜んだ人でさえも、「まだフセイン政権の方がましだった」という声が聞かれます。あの時「自由になった!」と歓喜した人々にとっても、それまで以上に悪い状況がイラクで続いているということです。
もしイラク戦争が起きていなかったら……と想像します。「アラブの春」も、「イスラム国」の出現も無かったでしょう。日本も世界も今とは異なる様相だったと思います。シリア、イラク、アフガニスタンから逃れる大量の難民も発生していないでしょう。何よりも、この映画に登場した人々は今でも無事生きていたはずです。戦争や武力によってもたらされる「自由」「平和」とは、いったい何であるのかを考えさせられます。
PROFILE
綿井健陽(わたい・たけはる) 1971年大阪府生まれ。映像ジャーナリスト・映画監督。
日本大学芸術学部放送学科卒業後、98年からフリージャーナリスト集団「アジアプレス」に参加。これまでに、スリランカ民族紛争、スーダン飢餓、東ティモール独立紛争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタン、イスラエルのレバノン攻撃などを取材。イラク戦争では、2003年から空爆下のバグダッドや陸上自衛隊が派遣されたサマワから映像報告・テレビ中継リポートを行い、それらの報道活動で「ボーン・上田記念国際記者賞」特別賞、「ギャラクシー賞(報道活動部門)優秀賞」などを受賞。
2005年に公開したドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』は、国内外で上映され、2005年ロカルノ国際映画祭「人権部門最優秀賞」、毎日映画コンクール「ドキュメンタリー部門賞」)、「JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞」大賞などを受賞。最新作のドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』は、2014年から各地で上映中。「2015フランス・FIPA国際映像祭」で特別賞を受賞。
https://peace-tigris.com/
著書に『リトルバーズ 戦火のバグダッドから』(晶文社)、共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか―取材現場からの自己検証』(集英社新書)など
Photo:UNHCR