【東京 ゲストトーク『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』:今福龍太教授、渋谷敦志さん】

【東京 ゲストトーク『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』:今福龍太教授、渋谷敦志さん】

10月16日、東京で『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』上映後、文化人類学者の今福龍太教授とフォトジャーナリストの渋谷敦志さんをお招きしてトークイベントを行いました。司会はUNHCRの今城大輔が担当しました。

今城:今福先生はサルガドやヴィム・ヴェンダース監督と親交がおありで、サルガドの写真集「人間の大地/労働workers」の写真のキャプションの翻訳も担当されました。また渋谷さんは、1995年に大阪で偶然出会ったサルガドの写真展「workers」で人生が変わるほどの影響を受けたとお伺いし、今回お二人をゲストとしてお招き致しました。

今福教授:一人の写真家の生涯と作品を見事に凝縮した、かなり重い作品ですので、今初めてこの映画をご覧になった方は少し反芻したいなという感じもあるかと思います。

私は30年以上メキシコを始点にラテンアメリカを動き回っていて、そのプロセスのなかでサルガドとも知り合いました。知り合ってから20数年経ちます。彼は世界の写真家の中でも最も深い倫理的確信をもって人間と地球に向き合っている写真家だと思います。

同時に純真な遊び心があるというか、やんちゃな人間でもあります。この映画の、ブラジルの故郷の農場を取材した場面でサルガドの父親が出てきました。父親も息子そっくりの目鼻立ちですが、セバスチャンとは境遇が違って、田舎にずっととどまった人です。「とどまった人」と「出て行った人」とで表情が全く違っていて面白いですね。そのお父さんが息子の少年時代を回想して面白いことを語っています。字幕では細かいところまでは反映されていませんが、映画の中でサルガドのことをマランドロ、つまり「悪ガキ」と呼んでいました。まさにそんな少年だったんだと思います。そのキャラクターは今でも健在です。私も何度か撮影に立ち会ったり、サルガドと奄美群島を旅したこともありますが、「悪ガキ!」って突っ込みたいような場面がたくさんありました(笑)。

サルガド初の写真集「人間の大地/労働workers」を日本で出版した際、私は厖大なキャプションを翻訳しました。それが出会いの大きなきっかけでした。渋谷さんはこの写真展に収められていたブラジルの露天掘りの金山セラ・ペラーダの写真に圧倒されて写真家を志したと聞きました。

渋谷さん:そうなんです。当時、大阪で19歳の大学生だった私は、もともと写真家になろうという思いはありましたが、どちらかというと戦場写真家になりたいという気持ちがあって、写真そのものへの関心よりも冒険心が先に立っていました。でもサルガドの金鉱の写真を見たときに激しく心揺さぶられ、内臓をかき回される位の熱さを感じたんです。だぶん2、3時間は写真の前でうろうろしていたと思います。それくらいの衝撃だったのです。

今福教授:サルガドも映画の中であの写真を撮ったときの状況を話していましたが、サルガドはあの風景をバベルの塔に例えるなど、一種の神話的な情景として語っていますよね。

渋谷さん:僕も写真を見たとき、万里の長城やエジプトのピラミッドとか、その建造現場はこんな感じだったんじゃないかと瞬間的に感じました。

今福教授:サルガドの写真には難民や飢餓などに代表されるように、悲惨な世界の現場の深い所へいち早く行って撮っているものが沢山あります。
彼の写真があまりにも完璧なので、それが美しすぎると言われたりして、批判されることもありました。悲惨さというものを美化していると捉えられてしまうんです。

渋谷さん:私もイギリスに住んでいた頃に、美しく撮ることで貧困のイメージを再生産しているに過ぎないというサルガドへの批評を目にしたことがあります。

今福教授:私は、サルガドが写真を撮る一番本質的な深い確信として、人間の生存の条件にたいする深い視線があると感じます。彼が見ているのは人間の個別のリアリティを超えたもの、いわば神話的・原型的な生き方のモデルではないかと思います。それは神話、叙事詩、聖書などに描かれている人間の条件の原型です。バベルの塔、という比喩もそこから来ているのでしょう。ですからサルガドがブラジルの金鉱に見ているのは、ゴールドラッシュというクレイジーな現象そのものではなく、人間にとっての普遍的な生存の条件がときどき露呈する悲劇的な姿だと思います。善悪の判断を超えてしまうような叙事的光景です。

彼の写真集のなかで民族の離散を描いた「エクソダス」も、元々は聖書の「出エジプト」のことを指しています。エジプトからユダヤ人が脱出し民族的な離散をはじめるきっかけを指した言葉ですが、それを彼は現代人にたいるす普遍的な概念として使おうとしています。また最近出した写真集「ジェネシス」も、やはり旧約聖書の最も重要なテクストの1つであり人間誕生の原点を示す「創世記」から取られているタイトルです。

今日上映された作品の中に、北極海のセイウチを撮ろうとしてシロクマの侵入に邪魔されるシーンが出てきます。そこで彼は「動物を撮ろうとしているんじゃないんだ」と苛立ちます。どんなにシロクマが近づいてきてもそこには関心がない。彼が本当に撮りたいのは波打ち際にいるセイウチの群れです。そしてついに浜辺で角を振りまわすセイウチの写真が撮れたとき、彼はそれをダンテの「神曲」におけるインフェルノ(地獄篇)に例えています。サルガドは北極にいて、その風景に冥界、地獄の橋渡しの場面にあらわれるセイウチの姿を見ているというわけです。このような視線はとても例外的なものです。サルガドの目にはいつも神話的原型の風景が透かし見えているのです。

この映画の原題The Salt of the Earth も象徴的なタイトルで、これも聖書からとられたものです。新約聖書「マタイによる福音書」に、人間は地の塩であるという一節が出てきます。塩は全てのものに味を付ける最も根本的なものであり、同時に腐敗を防ぐ重要な役割も持っています。これは人間が塩と同じかけがいのないものである事を意味しています。

サルガドが写真というフレームのなかで実現しようとしているのは、どこか現実のアクチュアルなものを超える神話的な世界への考察です。そこに人間の生命の原型がある。そこにはなかなかフォトジャーナリストがたどり着けない奥深いところがあると思います。渋谷さん、いかがでしょうか。

渋谷さん:はっきりと頭で理解できた訳ではないのですが、19歳の私の心は強いものを感じていたと思います。写真との対話、コミュニケーションが内なる何かを喚起し、根源的に私の生命力を掻き立てる、そんな感覚が確かにありました。

私はサルガドの写真と出会った翌年にブラジルに渡り、1年弱サンパウロに滞在した後、金鉱のあるブラジルのセーラ・ペラーダ近くまで8000キロを旅しました。残念ながら、そのときにはもう金鉱の採掘は終わり、溜め池になっていました。相当がっかりするかと思いきや、逆に元気が湧いてきたんです。サルガドに憧れて8000キロを旅して、金鉱をこの目で見ないと日本に帰れないと思っていたんですが、私が見ようとしたのは世界のただ一点に過ぎず、その先にもっと世界が広がっていると思うとわくわくしたんです。ブラジルがくれたパッション(情熱)は、広い世界に飛び出して、前向きに生きようとする意志へと変わっていきました。

私はそこからサルガドのようにアフリカを目指しました。 難民や干ばつ、飢饉の現場で写真を撮っていると、写真を続けていくモチベーションが徐々に失われていきました。「写真なんか撮っている場合なのか」「もっと人として他にやることがあるのではないか」と疑問が湧いてきたのです。

その葛藤はその後10年以上、拭い去ることが出来ませんでした。そんな時、原点であるブラジルの写真に立ち帰ることで意欲を取り戻す、そんなことを繰り返しました。アフリカで写真を撮りながら苦しんだサルガドも、それを乗り越えられた理由があったのだとこの映画を観て改めて感じました。アフリカとブラジルを往還することには、きっとそんな大きな意味があったんだと感じています。

今福教授:人間の死や飢饉に日常的に触れることがもたらす苦痛、自分のなかにある人間への信頼が覆えされていくような大変な経験だったと想像します。人間性への信頼が全て砕け散り、自分自身が写真を撮ることはおろか、生きていること自体に意味を見失ってしまう状況。それはサルガドが40年もの間、写真というメディアを媒介にしながら世界を知ろうとした経験の先にあるもので、その壮絶な経験を想像することなく、私たちが簡単に「人間に絶望した」なんてとても言えないと思うんです。

けれどもそうした状況から彼自身が救われてゆくエピソードが映画の最後にあって、それは、自然が再生の力を持っているということを、再発見するということでした。

渋谷さん:写真家は故郷を離れて写真を撮りに行く。なぜ故郷を離れ、どこに向かっているのだろうと考えるんです。自分は20年かかりましたが、遠くを旅して一周してみると、結局は原点に帰るんだ、そんな感覚です。でも同じ景色はもうない。20年も経つと、自分も世界も変わってしまっている。それでももう一度向かっていこうと思える場所が、ブラジルとアフリカにあった。それはもう現実の場所というより、それでも生きるという意志が宿る場所というか。サルガドも写真家としてそのように感じるところがあったのではないかと思います。

今福教授:変転、転変って言う言葉がありますが、この言葉が示す「変化すること」「移動すること」は本質的に悪いことではないという強い信頼がサルガドにはあると思います。我々は故郷を捨てることや、物事が悪い方向に変わっていくことを否定的に捉えがちです。確かに今、戦争や様々な理由で世界が破壊的な形で変わっていこうとする部分があることは事実です。でもサルガドはもっと深いところで移動、変化を捉えてきました。それは善悪を超えて、人類、生命、地球の全てがそういう風に生きてきたということへの信頼を基礎とするものです。だから変化自体を恐れることはない、否定的に捉える必要はないんだというメッセージだと思います。

今城:今様々なお話が出ましたが、もともと難民映画祭でこの作品を上映したいと思った最初の理由は、難民キャンプで撮られた「エクソダス」を見て、大きなスクリーンで多くの人たちに見てもらいたいという思いがあったからです。住む家を追われて異国、あるいは国内に漂い続けている世界の難民や国内避難民が、大きな困難に直面しながらも前進し続ける姿を届けたいと思いました。この作品をきっかけに、そのような人々に対して思いを寄せて頂けたらと思います。

img_2384

PROFILE
今福龍太教授

文化人類学者・批評家。東京外国語大学大学院教授。遊動型の野外学舎、奄美自由大学を2002年から主宰。サンパウロ・カトリック大学記号学・メディア研究科大学院でも随時セミナーを開く。著書に『ミニマ・グラシア』『群島-世界論』『薄墨色の文法』『ジェロニモたちの方舟』(以上岩波書店)『レヴィ=ストロース 夜と音楽』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(以上みすず書房)『わたしたちは難破者である』(河出書房新社)ほか多数。訳書にセバスチャン・サルガド『人間の大地 労働』(岩波書店)。近刊予定に『原-写真論』(赤々舎)。

渋谷敦志さん
フォトジャーナリスト。1975年大阪府生まれ。2002年London College of Printing卒業。
1996年、大学を休学して一年間ブラジル・サンパウロの法律事務所で働く。卒業後、野宿者の現状を取材したルポで国境なき医師団主催1999年MSFフォトジャーナリスト賞を受賞。それをきっかけにアフリカへの取材を始める。現在は東京を拠点に、世界中の紛争や災害、貧困の問題を写真で伝えている。日本写真家協会展金賞、コニカミノルタフォトプレミオ、視点賞・第30回視点特別賞など受賞。『回帰するブラジル』『希望のダンス』『ファインダー越しの3.11』の著書がある。
https://www.shibuyaatsushi.com/
写真集『回帰するブラジル』渋谷敦志
https://shibuyaatsushi.stores.jp

Photo:UNHCR