第8回UNHCR難民映画祭は、2013年9月28日(土)-10月6日(日)まで開催します。|8th UNHCR Refugee Film Festival will take from28 September(Sat) - 6October(Sun), 2013.

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第9回UNHCR難民映画祭。詳細につきましては、随時この公式サイトにてお知らせいたします。みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

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2014年11月 5日 09:50

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【ゲストトーク】JICA若松英治さんとアリ・ジャンさん


『メアリーとモハメッド』を観ていかがでしょうか。感想をお聞かせください。

若松:『メアリーとモハメッド』を観て、アリ・ジャン君に出会った頃を思い出しました。彼に出会ったのは2002年の3月、私がJICAに入って一年目、23歳のときでした。

アリ・ジャン:タリバンから逃れて2001年8月に日本に来ました。成田空港で収容され、牛久収容所で7ヶ月過ごしました。

若松:彼は成田空港へ到着後直ぐに牛久の外国人収容所に収容されました。彼は到着後に難民申請をしましたが却下され、外部の日本人に会うこともなく7か月間収容所で過ごしました。収容所でストレスのため薬を何錠も飲み、自殺をはかったこともあります。その後、弁護士の方々に助けられ仮放免になり、墨田区の夜間中学に通いました。私とJICAの同期は知り合いの弁護士を通してアリ・ジャンと出会った後、個人レベルで何ができるのか考え、講演会やコンサートなどを開催してきました。

アフガニスタン人と聞くと彫りの深い人を想像するかもしれませんが、ご覧の通りアリ・ジャンは日本人のような顔立ちをしています。初めて彼に出会ったときは彼は19歳でした。これだけの支援の輪が広がったのは、アリ・ジャンの性格によるところもあると思いますが、彼は一度会うと放ってはおけなくなるような人物だと思います。私は『メアリーとモハメッド』のメアリーのように、まずは友達として出会い、友達として何ができるか考えて一緒に活動してきました。

アリ・ジャン:僕はモハメッドと同じようにシーア派のハザラ人です。彼と同じように、何もできない状態で収容所に入れられました。日本の難民申請の手続きのことは何も知らず、日本が安全だと聞いて日本にやってきました。何も分からない状態で7ヶ月間収容所で暮らしました。収容所ではテレビを見ていたりしました。そして体調を崩して、毎日7~8錠ぐらいの薬を、何の薬かもわからないまま飲んでいました。モハメドと同じように家族のことを考えて心配していました。

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アリ・ジャンさんはその後どうされたのですか?

アリ・ジャン:収容所では毎週のようにボランティアの人が海外に電話できるカードなどを持って訪問してくれていました。仮放免された後は、学校に通う傍ら、若松さんと本を出しました。まだ困っている難民の人のために、何かできればと思っています。
 
若松:牛久収容所には、収容が長期になる方もおられ、中には精神疾患にかかる方もおられます。アリ・ジャンも無事に収容所を出られたものの、学校に通い始めてすぐは、精神的に落ち込んでいてほとんど通えない状態でした。それでも次の学期には元気を取り戻し、皆勤賞を取れるまでになりましたが。

アリ・ジャンと私たちは、弁護士の方と共に難民不認定の取り消しを求めて様々な活動していました。そのうち、一般人や大学生、著名人の中にもアリ・ジャンを助けたいという人々が増えていきました。アリ・ジャンによる自伝の本も出版することができました。本や彼の活動の効果は大きく、裁判所では傍聴席が満員になり、裁判官もアリ・ジャンの本を持っているくらいでした。そのような支援が影響したのか、アリ・ジャン仮放免中に難民不認定処分の取り消しを求め地方裁判所で勝訴しました。しかし、その後、法務省側が高等裁判所に控訴し、アリ・ジャンは敗訴しました。アリ・ジャンと弁護士の方はもう一度裁判を起こすことを相談しましたが、アリ・ジャンとしては一連の裁判や講演活動、メディア露出などで心身ともに疲れ、それ以上の行動は取らないことを決めました。その後、アリ・ジャンは2006年に結婚し、今は難民とは違うビザで日本に滞在しています。

IMGP3625_600.jpgのサムネール画像

―わたしたちに何かできることはありますか?

アリ・ジャン:一人ひとりが心で感じて、何ができるのか考えてほしいと思います。僕のような人がたくさん収容所に入れられています。難民は必ずしもパスポートを持ってくるとは限りません。日本に安全を求め、いきなりやってくる人たちを助けてほしいと思います。
 
若松:今日この映画を観に来てくださっただけで嬉しく思っています。知ることが大事だと思います。今日はアリ・ジャンという生身の人間に会っていただき、知って頂けた事を嬉しく思います。アリ・ジャンは誰にも知られずに収容所に入れられ、誰にも知られていないところで自殺未遂をしました。彼の存在を誰も知らないという状況が、彼を追い込んだという部分もあると思います。興味のある方はUNHCRや難民支援協会のホームページでさらに情報を得ることができますし、牛久収容所を訪問することもできます。まずはできることから始めることが重要だと思います。


【フロアから】

―日本がもっと難民の受け入れに対して寛容になるためには何が必要だと思われますか?

若松:私は個人レベルで活動していたので難民保護の専門家ではありませんが、日本が昨年受け入れた難民の数が6人なのに対して、申請者は3000を超えていました。やはり世論の影響というものは大きく、まずは知ってもらうことが重要だと思います。難民認定の作業は非常に複雑で、審査に関わる職員の人数などの関係から日本では十分に対応できていないとも言われています。市民の中で制度を改善したいという機運が高まれば、将来的に制度も変わるかもしれないと思います。

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―最後に一言お願いします。

アリ・ジャン:話を聞いてくださりありがとうございます。

若松:1人でも多くの方に今日知ったことを話していただきたいと思います。アリ・ジャンの本「母さん、ぼくは生きています」という本も、たくさんの人に協力していただき心を込めて作りましたので、是非ご覧ください。

Photo: (C)UNHCR

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